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思い出話・エピソード7/スペイン マドリード・グラナダ編 [昔の旅の話]

昔の旅の話の続きです。

[これまでのお話はサイドバーのカテゴリー/“昔の旅の話”にあります。]

100記事目なので、旅のお話も、きり良く終わらせようかと。

だから今日のは(今日のも?)長いです・・・

では、マドリード〜グラナダ編です。

_________________________________

バルセロナからマドリードへ到着したのは、
6月・・・ちょうど今頃の季節でした。

Mちゃんはすでに帰国、T君は一足先に他の土地で出会った友人達と集合して
同じホテルに宿泊。
部屋空いてるからnakasamaもどうか?
と誘われ行くとそこには気の合う日本人旅行者達がいっぱい。
旅のコースが違う人達との情報交換の場になりました。

その晩はみんなでフラメンコを見に行きました。
迫力のステップでホコリがバフバフと舞い上がるのにちょっとビックリ!
フラメンコとは空気の悪いものでした。
そして当然・・・夜はそのままみんなで飲み会・・・大勢いるのもまた楽し。

フラメンコときたら闘牛?
だけどちょっと・・・闘牛見るのは・・・無理。
んー、これだけは文化とはいえ理解不能、見たくなかったので行きませんでした。

マドリードに寄った理由はピカソの「ゲルニカ」が見たかったから。
翌日はプラド美術館へ・・・
(ピカソの作品は、別館の国立ソフィア王妃芸術センターというところにあります。)

(こうやって画像になってしまうとぜんぜん迫力ないですね・・・(ーー;))
ものすごく大きな絵です。
大きさにも圧倒されるのだけれど、
戦争への悲しみと怒り・・・画面にぶつけた激しい想いが伝わってきます・・・

ゴヤの絵は、とてもとても暗い・・・ここにも悲しみと恐怖・絶望・・・

もちろん華やかな絵画も数多くあったけれど、
心象に残る絵はそんな悲しい残酷な絵ばかりだった・・・
(画像ない方が良かった?ちょっと悲しくなるね・・・)

そして
帰り道・・・目の前で女の人の悲鳴!
走り去るのは若い男性・・・ひったくりです。
多分女性は観光客・・・一瞬、皆注目・・・
その後、廻りは・・・またかというような反応・・・すぐに何事もなかったかのように・・・
パニックなのは本人のみ・・・

何故この国の人達はこんなに陽気で楽しい反面、はてしなく犯罪が多いのか?
そして、物乞いをする人々も他より多く感じる・・・いまだに内戦が尾を引いているのでしょうか?
スペインの歴史を知らずに来た事を少し後悔。
しかし、
帰ってきて本を2冊ほど読みましたが・・・
内戦や宗教間の問題は難しすぎてじぇ〜んじぇんわかりましぇん。。。。m(__)”m

強すぎる陽射しが濃い影を落とす・・・

この時期ヨーロッパはサマータイム、
陽射しは高く強く、夜10時頃までは昼のように明るい。
お昼を過ぎると2時頃から・・・シエスタ・・・
お店も郵便局も銀行も4時頃まで皆閉まってしまう・・・お昼寝タ〜イムです・・・zzz

これは働き者の日本人(私の事ね^^;)にとって、はじめはやっかいでした。(^^;
何かしようと思ったら午前中か遅い時間・・・昼間は寝て待て・・・って感じですから・・・
今はずいぶん変わってきてるようですが、、、

でも生活の中で育まれた文化だから続けてもらいたいな〜
暑い日中はお昼寝・・・いいじゃないですか?
午後の仕事もはかどるってもんです。
(なんて遠くにいるとそう思う・・・勝手なものです。)

クールビズなんてケチな事言わず、日本の夏にもシエスタを導入しよ〜〜〜!(^o^)ノ

あら、、、横道にそれてしまいましたね・・・/(-_-;)

・・・・・

戻しましょう。えーと、

そう、そしてグラナダへ。
グラナダもサクロモンテの丘等は一人で歩くのは危険。。。
ましてやカメラ持ってたりしたら現金同様・・・と聞き、
複数の方が安全・・・ってことで・・・なり行きで女3人・男2人計5人で出発・・・
一人旅ではなくなりましたね〜心強いです。

グラナダへ向かう車窓からは・・・

オレンジ色のひなげしの野原。。。

咲き始めのひまわり畑。。。

景色はどんどん変わっていきます。

イスラムの建築様式・・・

延々と続くオリーブ畑。。。乾いた土地。。。

ほんとに乾いた土地にはオリーブしかない・・・

ずいぶん遠くにいるんだな・・・とあらためて感じた・・・

夕方に長距離列車がグラナダへと到着すると降りたとたんに
地元のおじさん達に笑顔で大歓迎されました。。。

「オラ〜!セニョリータ!、ハポーネ?ハポネサ? △◇□☆⌘☀♨♪オー、アミーゴ!アミーゴ!!!」 
(やぁ〜ようこそ、お嬢さんたち、日本人?お〜、みんな私の友達ね〜
だからうちに来て〜!って感じでしょうか?)
もれなくハグも付いてきます。。。

ホテルの客引きさん達なんですね(^^;)

それにも増していっしょに行ったSちゃんという同じ年の女性はたくましかった〜(^o^)/

「おじさんいくら? 高い高い!
チーパー!チーパー! ディスカウントよ〜!!!」
と、親指を下に突き出し説得。。。

さすがー!ナルホド!そうやれば良いのね(市場で野菜買うのと一緒)

その値切りっぷりに・・・惚れました♪

なんとホテルはツインルームにエキストラベッドで3人部屋でも広々としていて
しかもバスタブ付き、一人約¥2000。
(その後通貨も変わって今では考えられない価格・・・と思います。)

お風呂付きは初日のパリ以来です・・・感激・・・Sちゃんありがとう(T-T)
(それまでシングルルームでほとんどシャワールーム。バスタブ付きってなかったので。)

その後フロントに全員集合すると、あの客引きのおじさんがいました。
ニコニコ顔でやってきて上機嫌です。

「オー、アミーゴ! !!なんちゃらかんちゃら・・・ミ・カーサ!!!」

(何となくですが・・・うちに遊びにこいって言ってるみたい?
値切りのSちゃんのこと気に入ったみたい。^^;)

このホテルに5人もお客さん連れてきたので成績よかったようで・・・たぶん報酬が?・・・
おじさん、顔赤い・・・すでに酔っぱらい・・・?
グラナダおじさん、宵越しの金は持たねぇ〜って感じ?。。。(^-^)

みんなで近くのBARでタパスとビールで夕飯&今後の会議・・・
翌日はアルハンブラ宮殿へ、翌々日は日帰りでマラガの海へと向かうこととなりました。

アルハンブラとは「赤い城」という意味だそうです。
丘の一番上に建つキリスト教の国のイスラムの城・・・

丘の上からは雪を頂くシェラネバダ山脈が見えます。

ここで目にしたのは予想以上の素晴らしイスラム建築と

その真ん中に建てられた陳腐なキリスト教の宮殿でした。

そしてライオンの庭園に入ったとたんにカメラのシャッターが切れなくなった・・・がーん!

壊れちゃった・・・のね。

イスラムとキリスト教の争いについては
さっぱり良くわからないので書けないんですけど・・・

見て感じた事だけちょっと・・・書いておきたいかな?って・・・

イベリア半島は8世紀から800年の間イスラムの国でした。
レコキンスタと呼ばれるキリスト教徒による国土回復運動=戦争
によりイスラム教徒から国土を取り戻した証しのように
宮殿の真ん中に記念碑のようなキリスト教の印を建造する。

そんな場所を目にした感じがしました。

もちろん、別の土地に行けば逆の事が行われていて・・・

どちらが、どうだということはできませんね。

未だに世界中に続くいろんな民族間の問題には長い長ーい歴史があって、

政治と宗教といろんなものが複雑に入り交じって貧富の差っていうものが露骨に存在して。

これが犯罪を多くする理由?

国境も争いもない世の中って永遠に実現しないのかな〜?

アルハンブラ宮殿について画像を見たい方はこの方の写真がとても素敵です。
http://wadaphoto.jp/aruhanbura.htm (前編)
http://wadaphoto.jp/aruhanbura2.htm (後編)

ん・・・何だかお話が重い?

ん〜、ソネブロのように・・・?

では、翌日のマラガへ飛びましょう・・・・

じゃーん!!!

nakasamaは着替えは1着しか持っていきませんでしたが、

なんと水着は鞄につめていたんですね〜〜〜(^^)v

地中海で泳ぐ!!!

これも目標のひとつでした。

水着はワンピースで白地に黒の斑・・・そうです・・・牛

モーモー柄の水着でした。(^^;

一緒に行った仲間からは・・・

「nakasamaさぁ〜!
スペインでその柄はどうよ?
赤い布ひらひらされちゃうよ〜」

・・・たしかに・・・\(ーー;)ノ・・・槍で刺されそう?でも乳牛柄か・・・(ーー)?

実際マラガの海は水が冷たくて、泳げませんでした・・・泳いでいる人はなく・・・

みんな日光浴だけ。。。じりじり。。。

トップレスの人もいたかなぁ〜? うつぶせだったけど・・・(^^)

この後、本当はセビリアやモロッコと向き合うジブラルタル海峡のところの

アルヘシラスという地まで行ってみたかったのですが・・・

帰国の日程も迫っていて、皆とはグラナダに戻ったのち別れ、

帰り支度をするためパリへ戻るのでした。

一人に戻ると又違うものが見えてきたりするものです。

夕刻、夜行列車待ちのホームでは、若い女性がフラメンコのステップの練習をする。
小さい子供達も真似をするが、みんな上手。きれいな踊りに拍手を送る。

今でも・・・スペインの列車で聞いた車内販売のリズミカルなおじさんの声を憶えています。

「セルベーッサ! ボッカディージョ! カフェコンレチェ!」
(ジーコ監督のイントネーションでイメージしてみましょう! そんな感じです^^;)

意味は・・・「ビール! サンドイッチ! カフェオーレ!」

・・・・最後に耳に残る言葉がこれって・・・自分らしいかな?(苦笑)

昔の一人旅のお話はこれにて・・・・・The end・・・・・です。

長々とおつきあいありがとうございました。 m(__)m (^_^)ノ”


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思い出話・エピソード6/スペイン・バルセロナ編 [昔の旅の話]

昔の旅のお話・・・しばらくお休み中でした。
ぼちぼち書かないと忘れちゃうね(^^;)

では、スペイン/バルセロナ編をはじめます。

初めての方は今までのお話がサイドバーのカテゴリーに“昔の旅の話”があります。
(お時間ある方は、よろしければどうぞ〜)
_________________________________

トリノからの列車では眠れぬまま早朝バルセロナ、サンツ駅に到着。
インフォメーションで地図をもらい、ホテル探しの前に世界共通“マクドナルド”で
朝ご飯を食べながら、バルセロナの街の概要を頭にたたき込む。。。

カタルーニャ広場を中心にゴシック地区といわれるところにサグラダファミリア(聖家族教会)
広場からまっすぐ港までのびるランブラス通りが繁華街。

山側へ向かってバスに乗っていくと住宅街、途中ガウディ建築がぽつぽつと点在し
グエル公園まで行ける・・・そんな感じだったと思う・・・
翌日はそのコースで行ってみよう・・・などと計画。

ん?前の席のお姉さんがワタシの顔を見ながら手を振り何か言ってる?

“ワタシノカオ、ナニカツイテマスカ?”

・・・!!!

『違う!』

と、とっさに思って。脇の荷物をにぎりしめた!
(1ヶ月以上一人で旅行してるとカンが働くのね・・・)

予感的中!
鞄の陰に背面の席にいた女の子の手が見えた。

2人組のスリです。
ちょっと、ココさ〜マクドナルドの店内なんですけど・・・

この街、今までとちょっと違う?・・・・

イタリアもフランスもドロボーのたぐいはジプシー系の人たちで
裏通りで一人写真撮ってたりすると、数人で寄って来て物を押しつけながら
ポケットに手を入れてきたり・・・みたいな事は数回経験していた。

この街は普通のこぎれいな若者達がスリ、ひったくり、置き引き等をする。
後にこの街で出会った明石出身のT君も広場で2人組に財布をとられちゃったと言っていた。
「今何時?時計見せて」と言ってきたらしい。その隙に別の人が財布を抜き取る・・・

到着早々、ドロボーさん達の洗礼を受けました。
気を引き締めていきましょう!

ユーロになってからは全くわかりませんが、当時、スペインはかなり物価が安く
ちょっとゼイタクが出来ちゃうところでした。
ホテルは日本円で1泊¥2000くらいでチープな長期旅行者でもこぎれいなホテルがみつけられる。

アンティークな作りのインテリア、ファブリックもかわいい部屋のホテルでした。
¥2000よりオーバーしましたが、寝台使わないでコンパートメントで来ちゃいましたから
ちょっと奮発でーす。

まずは・・・お部屋で瀑睡。

・・・・・

日本語?女性の声が聞こえて目が覚めた。。。午後になっていた。

ん?隣の部屋?

へ〜、めずらしい。
お隣も日本の女の人なんだ・・・ちょっと嬉しくなった。

支度をしてちょっと広場まで行って帰りに食料仕入れてこようかな?

と、ドアを閉めているとお隣も・・・ガチャ!

私:「こんにちわ!日本の方ですか?」

彼女:「え?ええ、そうです。お一人ですか?」

私:「そう、一人旅です。バルセロナは今朝来ました。」

彼女:「私も同じ〜、うれしい!良かった〜!」

二人とも笑顔〜〜〜(^ー^)

ということで、さっそく一緒にごはんに行く事になりました。

彼女はMちゃん。
横浜在住の歌手♪で3つ年上のスレンダーな美人。
スペインは大好きでマドリード〜グラナダ〜アルヘシラス〜イビサへ行き
バルセロナに3日いたらマドリードへ戻り帰国する予定だという。

2人で広場に行くと困った様子の日本人・・・(T君)がいた。
「やられちゃったよ!」

被害者T君は2つ年上の関西弁でかなり面白い人。
インド〜タイ〜バリなど東南アジアからヨーロッパへやってきてもう1年以上
日本に帰ってないという。。。。(ご、ご両親はさぞかし心配でしょうに・・・^^;)

ここで2〜3日先輩のT君に夕飯のお店をセレクトして頂き、
3人で久しぶりの楽しい食事会になった。

行ったお店は・・・・スペイン料理?
ちがうみたい・・・何料理?

「ハイ! エビ〜、イカ〜、タコ〜、ナニ〜?」(これ日本語で言うのよ。)

お、おじさん!誰にオソワッタのか?

いかりや長介みたいな声で八百屋さんのように、
言われちゃうと〜微妙・・・(^^;)

港町のバルセロナは魚貝が豊富。カウンターの上にまるで寿司屋のネタのケースのように・・・
生の魚貝が並んでいて、頼むと調理してくれるらしい。超Happy!
でも日本料理ではありません。何というか?スペイン風炉端焼きとでも???

海老やお魚をそのまま塩で焼いてもらったり、でもイカのトマト煮とかもあったかな〜?

さすが長旅経験者は違う〜と感心し、おいしいものをたらふく食べ、
いろんな会話をした。。。
昨日まで知らない人間どうしが、知らない土地で自分の仕事や今何故旅をしているのか?
これから何がしたいのか?などまで話した・・・不思議な感覚。

帰り道、港からカタルーニャ広場までのランブラス通りを会話しながら歩いていると

また悪い予感・・・

振り向くとこれまた若いこぎれいなジャケットを着たおにいさんが私のリュックに
手をかけポケットのファスナーを開けようとしていた!

もーなんて街なの!1日に2回も・・・!

T君と別れホテルのフロントでおじさんに鍵をもらい
「アディオース!」(さよなら)

というと・・・

「ノー、ノー、マニャーナ!!」(ちがう、ちがう!また明日〜でしょ!)

と返される。。。
また明日!って言ってくれる人がいるって、うれしいなぁ〜・・・

ホールではどう見ても宿泊客だけじゃなさそうな人たちまでTVに釘付け・・・
なにみてんのかなぁ〜???

後ろから覗くと、古っぽいアニメーションのドン・キ・ホーテ(ディスカウントショップじゃないです。)

ナルホド、さすがスペイン。。。と思ってみてると

『あんたも座りなさい!』みたいに言われてしまう。(笑)いっしょにちょっと見ちゃった。(^^;

日本の「水戸黄門」のようにみんなに愛されてるんだ〜と感心。

出会う人たちは皆、陽気で楽しい人たち・・・どろぼうだらけだけど、ここがとても好きになった!

翌日もこの3人はガウディ建築見学ツアーに出かけたのでありました。

文章ばかりでつまらないので、自分の写真ではないですがこちらを。。。


サグラダファミリア/細江英公『ガウディへの讃歌』写真集より

あれから塔の1本くらい増えたんだろうか?
200年かかっても仕上がらないって言われていますが・・・
実際行くと仕上がらないだろうなぁ〜(ーー;)って思います。
だって・・・働いている人は2〜3人・・・しかもみんなお昼寝中でした。。。シエスタ?


サグラダファミリア鐘楼部分/細江英公『ガウディへの讃歌』写真集より

皆さんもダークでうねうねどろっとした上の写真のイメージではなかったですか?
その先端のところはこんなかわいらしいんですよ。
実際のところガウディの建築って部分で見るとこんな楽しいところがいっぱいです。


コロニアグエルの大聖堂/細江英公『ガウディへの讃歌』写真集より部分トリミング

ここは市内からちょっと離れた場所にあります。日を改めて1人で行きました。
サグラダファミリアと違って、洞窟のようなかわいらしい教会です。
置いてある家具も小さくてかわいかった。まっすぐな柱は1本もな〜い。

ガウディではないんですが・・・ルイス・ドメネクという建築家

パラウ・デ・ムジカ(カタルーニャ音楽堂)部分/写真:田原桂一

ここの音楽堂でちょうど「イムジチ」が演奏会をやっていて
ガウディの翌日は音楽を聞きにいきました。
ちょっと待て!
ビヴァルディの四季を聞くのに、Gパンにパーカーのような格好で行って良いものか?

3人とも・・・気にしない気にしない・・・ってことで意見は一致したのだった・・・

To be continued.・・・
____________________________________

かれこれ18年くらい経ちます・・・

スペインは内戦後のフランコ独裁から王制になって未だに30年ちょっとですから・・・
この間、バルセロナオリンピック等もあり、施設も物価もずいぶん変化したことと思います。

あと、グラナダ〜マラガくらい書いて終わろうと思うのですが・・・
いつになるか?・・・(^^;)もう飽きちゃった?

またまた長くなっちゃってごめんなさいm(__)m
本日も終わりまで読んでくださってありがとうございます。


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思い出話・エピソード5/トリノからバルセロナヘ・・・ [昔の旅の話]

旅のお話の続きをさせていただきます。

トリノから夜行列車に乗ってニースやモナコのあたりの海岸線を通り、
バルセロナへと向かう・・・

って書くと、何だかカッコイイみたい?

実際は、、、書いてるくらいですから・・・なんとも。

ウィーンからベニスへの移動は寝台(クシェット)をとったのだけれど

この時の寝台はいっぱいでとれなかった・・・モナコグランプリの季節だったから?

海岸線も見たかったので起きているのもいいかな?と、普通のコンパートメントで行っちゃう!

チャレンジャーだなぁ〜。

※注)この夜行列車のコンパートメントのイメージは、映画ハリーポッターの
   ハリーたちがホグワーツへ向かう列車の部屋・・・あんな感じです。
   同室の人がいなければ、個室のようにシートに横になって寝ることも可能です。
   それはそれで寝台より広くて快適かも。同室の人がいなければ・・・。

「誰も来ませんように〜〜〜」って思ってたんですが、寝台がいっぱいなくらいなので

そうもいきません。

まもなく背の高い黒人の男の人と同室になりました。

いきなり靴を脱いで足を投げ出す・・・・・

・・・・ううっ。。。くちゃい・・・・・

ついでにものすごぉい香水のにほひ・・・・・

普段香水慣れしてない自分には拷問です。。。

すぐに部屋を変わるのも何だか嫌ってるみたいで悪いかな・・・と思い、

ちょっとだけきっかけを待つ事にした。

判断は・・・・・失敗でした。

話し掛けられると一生懸命答えてしまいます・・・

モロッコの人なんだって・・・フランス語圏だ・・・でも英語もちょっと話せる。

日本人の女ひとり、しかも夜行列車のコンパートメントってやっぱりめずらしいんでしょう。

その方よく喋るし・・・とっても興味深々みたい。

「へ〜、トーキョーからきたの?トーキョーってどんなとこ?」

まただ〜イタリアでも同じような質問責めにあった、

トーキョーはスモッグで空はグレー、空気がむちゃくちゃ悪いんだろ?

などと言われ放題だったので、もううんざりだった。なのに・・・

   「うんにゃ!ローマほど鼻の穴は黒くならないよ!」と返していた。

黙っていれば良かった・・・(TT) おばかなワタシ・・・

そのうちに、調子にのってきて

   「君がトーキョーに帰ったら、文通しよう!」  などとと言い出す・・・

お互いにカタコト英語の上、聞き慣れない発音で【correspondence】=文通って言葉が理解できるまでとーっても時間がかかった気がする・・・

相手のことをあんまり理解しようって気持ちがないと、言葉の壁は厚いのね〜。

自分の住所など渡すつもりはさらさらないし・・・どーしよ〜(汗)

「だって、手紙書けないよ〜、フランス語も無理だし、あなたも英語じゃ読めないんでしょう?・・・会話だってこんな大変なのに・・・不可能・ありえない〜」

などと、自らどつぼにはまっていく。。。

     「じゃあ、ここに手紙ちょうだい。」

って、住所を渡されてしまった・・・(汗)

お姉さんの住所だって・・・?
姉は英語が読み書きできるからだって・・・?

「はいはい。わかりました。」

とりあえず、受け取るだけはいいか?・・・

・・・・・それにしてもね、混ざったにおいがすごいの・・・・・もう、限界です。

よけいに疲れる会話・・・すでにフランスとの国境にさしかかる。

ここで出入国審査、パスポートチェックです。

※注)寝台をとれば、車掌さんに、乗る際にパスポートを渡しておくので
   降りる時に返してくれるだけなのですが、普通のコンパートメントでは、
   国境で各部屋にチェックが入ります。
   でもスタンプ押してくれる人の方が少ない・・・(ね、きむたこさん!=同意求む)
   記録が残らないのはちょっとさみしい。
   ヨーロッパの国境って、チェックする人が見てチェックするだけ・・・
   いいの?これで?
   

私はすんなりOK!・・・当然です。

モロッコの人は・・・え?・・・荷物も持たされ、連行されちゃったよ〜!

パスポート切れてたの?まさか違法入国?違法就労?

やっぱり〜?ちょっと変な感じだったもん。
人を見る目はあるほうなんだ・・・これでも。
(だったら早く部屋を変わればいいのにね・・・)

でも、、、ラッキー! これで個室じゃ〜♪

が、しかし、、、ぬか喜びでした・・・

「I'll be back!」(ターミネーターのように)
とは言わなかったくせに、
やつは、戻って来た・・・

なぜ? naze? WHY?

と、聞くと・・・

「これだよ!これ! ちょろいもんだぜ!」

というように・・・お金を数えるしぐさ・・・・

ワイロだー。。。
映画でしかみたことないけど現実です。
(ToT)もうだめです。。。限界超えました。(臭いも〜)

別の部屋に助けを求めよう・・・トイレにいくふりして・・・

運がいいことに、同年代の女の子がいた!

「こっちにきてもいい?」

と聞くと快くOKしてくれた。

一応、後味悪いのはイヤだったので、モロッコの人には

「悪いけど、部屋変わるね〜。」

と一言伝えて、荷物を抱えて脱出!

εε=== ほ〜っ

今度の部屋の彼女はスペインの女性。とってもイイ人で良かった〜。

イタリアで子供たちにフランス語や英語を教えていて里帰りだって・・・

相手が会話上手だと、とてもスムーズに理解できるものです。

コミュニケーションは言葉だけではないよね、やっぱり♡だね。

会話もはずむってもんです。

あいかわらず、質問責めでしたが・・・
(そんなにめずらしかったのかしら?)

彼女の興味は日本の神様の話だった。。。

皆さん!
「日本の神様ってどんな神様?」

って質問されたら、どんなふうに答えますか? 難しい質問ですよね。

私がどんなふうに答えたか?

長くなってしまうので、また次の機会にお話したいと思います。(^o^)v

すでに日付は変わっている時間でした。

数時間後には、フランスとスペインの国境を超えます。


思い出話・エピソード4/イタリアにて・その2 [昔の旅の話]

ひとり旅のエピソードをいくつかお話していますが、
まだいろいろとあります。。。(^^;

今日はその4回目ということで2つまとめてお話しようかと・・・
ちょっと長いかも?

第1話)
ミラノ拉致事件・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ミラノはローマに行く前にダヴィンチの『最後の晩餐』を見るため、
1泊だけ駅近くに宿を確保したあと荷物を置いてすぐに、
エマヌエーレⅡ世のアーケードへ向かった。
まずはドォモを見にいくため・・・

ひとりで歩いていると、あまり人が見当たらない・・・

この日は日曜日。
お店はみな閉まってる・・・ちょっと残念。(せっかくミラノなのに〜〜)

突如として車が横付けされ、中から3人の若い男女が降りて来た。
あっという間に3人に囲まれる!

『何!何!???』

3人一緒に何かまくしたてるので

「???」(‐‐;)

無言、、、。(突然で返す言葉も思いつかない)

代表者がゆっくりしゃべってくれた。。。

代表者:「日本人の方ですよね?」

私:「そーだけど、なにか?」(((‐‐‖)

代表者:「パスポート持ってる?」

私:「持ってるけど、それが何か?」(((((ーーⅢ)

3人:「あ〜、ラッキーだわ〜お願い!私たちと一緒に来て!」
   「頼むから、自分達を助けると思って、ちゃんとまた送ってあげるから〜」

私:「え”〜〜〜、まじっすか?どこ行くの〜」

代表者:「近くの公園までだから、大丈夫!」

すでに、車にのせられ、発車〜〜〜

私:『大丈夫って(;;)うそでしょ〜これって拉致じゃないのぉ〜 おろしてくれ〜』

ほどなく公園に到着。
何だかいっぱい人がいます〜???

スケボーの大きいのみたい?のに乗せられ、どさくさでいっしょにゲームに参加・・・???

ゴールを切る・・・???(よくわからないけどちょっと楽しい?)

司会者らしき人から「パスポート見せてー」と言われる。

どうも見せないといけない状況・・・国境でもないのに・・・

しぶしぶ赤いパスポートを・・・

拍手喝采を浴びる・・・???

「おめでとう! ありがとう!」

3人から握手の嵐!!!

『ナンデヤネン・・・?』 (^〜^;

3人から丁寧にお礼を言われ、車でアーケードまで送ってくれた。

車の中で説明を聞くと、こういうことらしかった。

彼等は何とかっていうラジオ番組で1日がかりの長いゲームをやっていて、
いくつかの課題をこなさなければならないということ。
その課題の1つに『日本人を捜せ!』ってのがあったらしい・・・

そういえば、駅前では同じTシャツを着た人たちが、おじさんに声かけてたような?

多分ツアー客等は日曜日は移動日などにあてていて、
ミラノの観光スポットを歩いてる日本人も少なかったらしい。

車を降りるとまた似たような3人組が迫ってくる・・・きゃ〜、恐いよも〜(((><;

「彼女はダメよ!私達ともうゴールしちゃったからね!」

そのようなやりとりを数回・・・で、アーケード入り口付近まで保護してくれた・・・

イタリア人って唐突だけど、とってもフレンドリーだ♪
彼等は未だ続きがあるのでと、ここで・・・bye bye!

アーケードに入るともう声かけたらダメというルールらしい、美しいアーケードの天井を眺め、
無事にドォモに到着。

この日拉致にあったニホンジン犠牲者は、はたして何名いたのか?

でも、、、ミラノっ子とラジオ出演はちょっと面白かったョ。

おかげさまでここでのドォウモの記憶は・・・あまりない・・・(ーー;


第2話)
涙の骸骨寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ローマ/サンタ・マリア・インマコラータ・コンチェツィオーネ教会 / 通称:骸骨寺
(中には行かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか?)

名前を聞いただけでうわ〜って思った方は、下記すっとばしてくださいね。

ちょっとまじめに自分の人生を考えさせられた場所でもあります。

この頃はすでに旅行も1ヶ月近く経過し、いろんな教会も見て来ていたので教会の
カタコンブ=地下墓所(歴代の神父さんたちの骨や棺等が安置)を見ても衝撃はなかった。

でも、ここは違うぞ・・・と

18才の頃に、恩師からここの話を聞きかじってはいたものの、
恐いもの見たさも手伝って?引き寄せられるように訪ねてみた。

入り口で時代をタイムスリップしたみたいなマントを着た修道僧がいた。
お布施?入場料?みたいなものを払うと話し掛けて来た。

「日本人ですか?」

「はい。」

「クリスチャン?」

「いいえ、違います。」

そう聞くと、修道僧はマントでくるむようにやさしく抱擁してくれて
何か一言祈りの言葉を呟き、中へ招き入れてくれた。
(異教徒へのおまじない?)

なぜだかとても、あったか〜く感じ、それだけでちょっと涙がでてきた。
どうしてかは今でも良くわからない。
(ん?ここで暗示にかけられたとか?)

写真はポストカードの転用ですが、とてもきれいに装飾された通路部分、
この右手がそれぞれ部屋に分かれていて・・・中はどくろのてんこもり状態。
あばら骨で壁面にアーチがつくられ、頭蓋骨を積み上げてできたベッドに位の高い僧侶か?
もしくは比較的新しい骨か?が横たわって寝ている。
中には骨に名前のような文字が刻まれているものもある。
骨に名札が付いてるの・・・?

ここは、カプチン派の修道僧4000人の骨で装飾された教会。
内装はしっくいのみ?
すべての装飾が人骨でできている・・・もちろん上の写真の装飾もね。

(普通考えないでしょ?↑人骨で時計の文字盤みたいのつくってみたり・・・)

悪趣味?・・・でもそう言い切れない何かがありました。

おどろおどろしい?
というよりも楽しげにさえ見えてくる(それって私だけ?)

骨になっても、こんなに世界中の人から訪問を受けているこの人たちは、
もしかして幸せなのかも・・・

だれもお参りに来てくれないお墓で淋しく眠るよりも・・・

『昔は私達もあなたたちのようであり、いずれは、あなたたちも私達のようになる』

そんなメッセージが・・・
良くわからないけれど、熱いものがこみあげてきた。

たしかに・・・そうだね・・・

宗教のことはあまり良くわからないけど、純粋に心の中で手をあわせた。

心の垣根がちょっとだけ低くなったような気がした・・・

ここは神聖な場所であり、異次元空間です。
『百聞は一見に如かず』・・・不思議な体験でした。

ローマに旅行される方、興味があったら覚悟して行ってみてね。
バチカンとは全く別の衝撃に出会えます。
(あ、過去記事読んでる人、ここ笑うとこですよ〜^^;)

でも苦手な人は、絶対やめておいた方がいいかと。
あんなにたくさん人骨見たら倒れちゃうかもしれないから・・・

最後まで読んで頂きありがとうございます。

まだ、旅は続きますのでそのうちにぽつぽつとお話できたらと思います。

大好きなスペインもまだこれからです。。。(*^^*)


思い出話・エピソード-3/イタリアにて [昔の旅の話]

もうすぐトリノオリンピックが始まりますね。
だからって事ではないですが、
日曜日のメニューはイタリアごはんで。
(イタリアンカラーね。^^)


真鯛のカルパッチョ

ツナトマトソースのパスタ

マルセル・リショー(これはイタリアワインじゃなかった〜でもおいしい。ローヌのビオワインです。)


そして本日は、一人旅・イタリア編をお届けしようかと・・・

今日は♡なお話ですよ。



出会いはローマ駅でした。

朝、バチカン行きのバスの時刻表を確認していると、男の人が声をかけてきました。

「バチカンに行くの?」

と・・・

『イタリアの男には気をつけろ!』といいますから、すぐさま

「ノー、ノー」と答えその場を立ち去りました。

ちょっと間をおいて、きょろきょろとその人がいないのを確認してからもう一度
時刻表の前で時間と乗り場のチェックをしていると、また同じ男性が・・・やばい?・・・

「ね、やっぱりバチカン行くんでしょ! 僕もいくところだからさ、バチカンまで案内するよ。ね、ね。^^」
・・・てな感じです。

ナンパかな〜?
ガイコクジンの年ってわかんないけどこの人40歳くらい?割と紳士って感じ・・・

自分はどう見てもお金持ちの日本人には見えないと思うのでお金目当てって感じでもないし、
いざとなったらダッシュで逃げるか?

・・・等と、しばし悩む・・・

困ったな〜、だけど時間を無駄にしたくなかったのでしぶしぶ同行・・・

バスの中では途中、英語でいろいろ教えてくれる。

「ほら、あそこのバルコニーはね、ムッソリーニが演説したバルコニーなんだ!」
ナド・・・

「ぼくはね、スペイン人!○○○○といいます。アクロバット飛行のパイロットをしてるんだ!」
と自己紹介。(強引な割には見た目の通り紳士的)

そして質問。

彼:「君は?名前は?どこから来たの?」

私:「nakasama 日本から・・・」

彼:「お〜、すばらしい!」「いくつ?」

私:「24」

彼:「お〜、すばらしい!」「どこに宿泊?」

私:「修道院」(こういっとけば、万が一の時も男の人は入れないとこだろ〜)
   ※注)イタリアの修道院には宿泊施設を併設しているところもあります。

彼:「お〜、チープ、チープ!すばらしい!」

私:『・・・変な人・・・』(((‐‐‖)

異国人同士がイタリアでカタコト英会話をしているうちにバチカンに到着。

そして、中も案内してくれると言う・・・
(断っても結構強引・・・)


しかし、現地ガイドのないワタシにとってはとってもいいガイドさん。

「ほら、あそこに歴代のローマ法王の骨が眠ってるんだよ!」

屋根の上の像を指さしながら、
「あれがヨハネ、あれがパウロね、あっちはね・・・etc」

「午後はどうせシスティナ礼拝堂にいくんでしょ。美術館の入り口はあっちだからね・・・」

うん、とってもわかりやすい!ありがと!

そして、

「ごちそうするから、カフェ行こう!」
(またまた断っても結構強引・・・)

以下、カフェでの会話

彼:「僕は、アクロバット飛行のパイロットをしてるっていったでしょ。」

私:「はい。」

彼:「だけどね、もう、ほんとに恐いんだ。こんな仕事、いつ死ぬかもしれない・・・」

私:「はあ。」

彼:「お母さんにももうこれ以上心配かけたくないし・・・、」

私:「そうですかー。わかります。」

彼:「こんな仕事だから、結婚もためらってたんだけど今の仕事を辞めて、
   結婚してお母さんを安心させてあげたいと思うんだ。」

私:「いいと思いますよー。」

彼:「だからさ、僕と結婚してくれない?」

私:「へ?」(・・)『イマ、ナント、オッシャイマシタ?』

彼:「僕と結婚してください。」(^^)

私:『ワタシ・・・ミミ オカシーデスカ?』

彼:  「ぼくはね・・・」
    「先日、テレビでね、『おすぃん』を見たんだよ。知ってる?
     『おすぃん』(●^^●)ね♡」

私:  『オスィン???』

    

   (当時ヨーロッパで“おしん”が放映されていたらしい・・・流行ってたのかな?)

彼:  「それは、すばらしいストーリーだった・・・全部見た!」
    「日本の女性はすばらしい!結婚するなら日本の女性だって心に決めたんだ!」
    「君は、修道院に宿泊するようなチープな日本女性・・・『おすぃん』みたいだ!
     理想的だ!素敵な出合いだ!」\(´〜`)/

    

私: 『どーゆー意味さ・・・それ・・・たしかにチープな人間かもしんないけど・・・』(((‐‐Ⅲ)

この人、とんでもない“おしん”かぶれでした・・・シンジラレナイホド・・・
ローマ駅でずっと“おすぃん”さがしてんの?  すごいね〜〜〜
だけど、どうしてローマ???

私:「え〜っと。あの〜。申し訳ないですけどぉ、結婚は無理ね〜。
   それから、今の日本女性で『おすぃん』みたいな女性はいないからね〜。
   もちろん、私もちがうし〜〜〜、
   あれは、むか〜しの話で、物語だからね〜
   そんな人がいるって期待しない方がいいよ〜。」

てな感じのことを、一生懸命伝えた気がする・・・(‐‐‖)

私:「じゃあ、私、先をいそぎますので、そろそろ〜〜〜」

彼:「そうか〜、残念だ〜!でも、気持ちが変わったらここに連絡くれる?
   ここに宿泊してるからね。 じゃあ、良い旅をね〜」

そう言って彼はメモをくれた。ホテルの名前と電話番号が書いてあった・・・

彼はまたローマ駅に彼の『おすぃん』を探しに向かったのかしら?

ニホンジンのお嫁さんみつかるかしら???

ナドと考えながら、ミケランジェロの最後の審判を見上げるのでありました・・・

『天地創造/アダムとイヴ・・・(カルチャーショックだったんだろうな〜おしん・・・)』

壮大なミケランジェロの絵を目前にして・・・泉ピン子の顔がちらつく・・・(`〜´;)

『変な人だったけど、親切だったな〜、コーヒーごちそうになっちゃったし・・・
 お母さん大事にしてるみたい、最後の審判の時でも天国いけるよ、きっと〜』

『最後の審判か〜。自分は最後の審判でどちらに振分けられるんだろうか?』

『ま、どっちでもいいか? あ、親に手紙書こう!きっと心配してるから・・・』

ホテルに戻ってガイドブックで確認すると、その人の泊まっているホテルはとってもセレブなホテルでした。

『あらら〜〜? ひょっとして、惜しい事しちゃいましたか〜?』

だけど・・・

『おら、おしんのふりはできねぇだ・・・おかあ、おとう・・・(‐‐;)
              ・・・では、また手紙書きます。ローマにて と・・・』

世の中にはいろんな人がいますね。
ひとり旅も半ばに入り、多少の事では驚かなくなっている自分がいました。


思い出話・エピソード2/ウィーンにて [昔の旅の話]

前回に引き続き(思い出話)今日はウィーンでのお話をさせて頂きます。

「ウィーン・セゼッション」って聞いた事ありますか?
ウィーン版、アール・ヌーボーのことをそう呼びます。
ワタシはパリのアール・ヌーボーよりここウィーンがずっと見てみたかった。
憧れの街でした。

好きだった画家
グスタフ・クリムト

エゴン・シーレ

好きだった建築家

オットー・ワグナー

ワグナーの建築ドローイングを見て、見とれていました。
でもこれは、建物のドローイング!実物が存在している。
実物を見に行こう!

ワグナーの右下の絵、シュタインホーフの教会というところ
ちょっと郊外にあるこの場所が今日のお話です。

実はここ、週に1回だけ時間を限って中の礼拝堂を公開してるとか?
(帰ってきてから知った事実・・・無知ほど強いものはない。)

自分の持っていたガイドブックには住所しか書いてなかったから、
地図で探して、バスに乗って・・・辿り着きました・・・


季節は5月末・・・リラの花(ライラック)が満開・・・緑の中歩く。。。
・・・シュタインホーフ・・・なんかいい響き〜♪

さすがにここまでくると日本人の姿はみあたらない・・・

シュタインホーフは小さな山(丘)がひとつ塀で囲まれた中にあるようなところ
そこのいちばんてっぺんに、この教会がある。

入り口はひとつ、ゲートは開いている。
看板が付いている・・・・看板を見ると?
ビョウイン?というニュアンス・・・かな?と

とにかく上へ急ごう・・・特に“注意!入ってはいけません”とか書いてないみたいだしね♪
教会への細い階段が緑の中を続いている。

軽快に登っていると、立ちはだかる人がいる。

男の人だ!

顔をあげると、、、、(・・)

(@.@)/

『やばいです〜目が変です〜。口元にも泡のようなものが・・・・???どうしましょう〜!』

教会を指さしながら何か言っています!良く聞いてみると。
「・・・・ゴッド、・・・・ゴッド」と言うように聞こえる。(たぶん)

男の人:「あんたは、神様に会いに来たのか?」と聞いている。(たぶん)

私:無言でうなづく。(・・)((__))(・・)

・・・わかった。じゃあ行って来なさい。という仕種であっさり通してくれた〜。
「だんけしぇーん!」
(ここはドイツ語だった!看板なんて良くわかんないの!)

残りの階段をかけ登り、教会へ到着。

当然ながら、中までは入れず。
外観だけカメラに納めた。

そして・・・帰り道はダッシュ!!!
後ろは振り向かないぞ〜〜〜!(べつに走らなくてもいいのに〜)

門を抜けてもう一度看板を確認。
???やっぱりも一つ良く解らないけど、中で作業をしている人達をよくよく観察してみると、
精神障害者もしくは脳障害者の病院と養護施設のようなところだったみたい?

なるほど、やっぱり神様の番人さん達だったんだ〜と。変に納得。
作業中に、いきなり邪魔しちゃってごめんね〜。
不作法な訪問者を通してくれてありがとう。

そんな、貴重な写真です。(またまた小さくて失礼!)

上の方5枚がその時の写真。
下の方はウィーン中心部で見る事ができる他の建物が写ってます。
(詳細は省きます。興味のある方は、『ウィーン』『オットー・ワグナー』等で検索してみてください。)

この頃は、PCクリックして情報が得られる時代ではなかったので・・・
現在は、公開日時等詳細を事前に調べられるようになってますね。
こんなドキドキする必要はないです。(笑)

今日は趣味に偏った話題になっちゃいましたが、
最後まで読んでいただいてありがとうございます。

《余談》
食べ物の話がないですね〜。
ウィーンといえば・・・
ザッハ・トルテにウィンナー・コーヒー/ウィンナー・シュニッツエルもね♡
しっかり食べましたよ〜。

そういえば、この「ウィンナーシュニッツエル」(ウィーン風ビーフカツレツ)
お店によっては、「君たちのソースはこれだろ?」というように
日本人を見るとブルドックソースを出してくれるところがありました。(><)
・・・今もそうなのかな〜?


思い出話 エピソード-1/パリにて [昔の旅の話]

先日の思い出話を書いた後、http://blog.so-net.ne.jp/nakasama-pooh/2006-01-26
当時の自分自身に会いたくたくなりました。
ちょっとタイムトリップしちゃいます。
しばし、おつきあいくださいませ。

今日は到着後のなれないパリでのお話(笑えない話)から始まります・・・

何故ミニアスパラが?はあとからわかります。

パリに到着後、1週間くらいは結構淋し〜い一人旅でした。
大きなホテルやターミナルのような場所では英語は通じると思いますが、意外に冷たい対応。

カタコトでもフランス語で伝えようと努力すると、皆さん優しいです。
(一応若い女の子だったからかな?^^;)
滞在中のホテルを探して、食事をして、美術館巡りで精一杯。。。

パリ2日目、いよいよホテル探しです。
そう、友だちからもらったノートを見て確認しながら・・・
まずは目を付けていたホテルへ、
注)以前からの友人のように挨拶を・・・と、ふむふむ。

私:「ぼんじゅ、むっしゅ!」(こんにちわ)
  ・・・でにっこりだったな・・・、(かわいく、にっこり〜♡(☆^^☆)

     ホテルの人:「ボンジュ!マドモアゼル!」(たまにマダーム!と言ってくれる。)
           すかさず微笑み返し(^^☆)される

私:「ぶざぶぇ〜、ら、しゃんぶる、あ、あんり?」(シングルのお部屋はありますか?)

     ホテルの人:「ウィ、マドモアゼル!ぺらぺ〜ら〜ぺら〜」

私:「・・・???」(^^;)「せ、こんびあん?」(いくらですか?)
       紙に書いてくれーというポーズをする=と書いてくれる。

私:「る、ぷち、でじゅね、こんぷり?」(朝食込み?)

     ホテルの人:「ウィ、マドモアゼル。ぺらぺ〜ら〜ぺら〜」

私:「・・・???」(^^;) 
  まあ、なんとなく・・・何時からどこの場所で朝食だよと言ってるようだ!まあいいや、

ホテルの人は金額や時間を書いてくれたりして、お部屋に案内してくれる。

このお部屋でいいか?と聞いてるらしい・・・
小さいお部屋だけど、壁紙やベッドはかわいく、趣味が良いので一発OK!

私:「めるし〜、むっしゅ!おーぼあ〜」
(ありがとう!じゃあね〜って感じ?)手を振り/〜

・・・ふぅ〜ホテル確保できました。やっと始まった旅です。

    冷静になってから・・・すごい!あれで?通じた・・・感激!

調子にのって、翌日ガイドブックに乗っていたカスレー(シチューみたいな煮込み料理)
が美味しいというレストランへランチに・・・(もちろん一人)チャレンジャーだ!

レストランで席に案内され、

私:「じゅ、ぶ、どれ、もんじぇ、かすれ〜」(カスレー食べたい)
  =のフランス語があってるかどうかは不明だが一応わかってもらったらしい。
  しっかりグラスワインもたのんでるし。。。そして忘れず、にっこり〜♡(☆^^☆)

お店の人:「ウィ・マダーム!」 微笑み返し(^^☆

しばらくしてお皿に巨大なホワイトアスパラが・・・・3本どか〜んと・・・


お皿で30〜35cmくらい、こんな感じです。

私:「・・・?」指さして首をかしげる。

お店の人:「アスペヤージュ。」(アスパラです。)

そりゃ〜それくらい見ればわかるって!
(だけどどう見ても日本ではメイン料理のお皿の大きさ!)
そうじゃなくって、カスレー注文したんじゃ〜!ぼけ〜!
・・・なんて言えないよね・・・(‐‐‖)

・・・それは前菜のサラダ!
チビの私はこれを食べたらおなかいっぱい、でも食べないと次のお皿は出てこない気配・・・

ううっ。カスレーまでの道は遠い・・・きりたんぽか竹輪みたいなアスパラ3本がんばりました!

そしてやっと出てきた「カスレー」
今となっては、アスパラのインパクトで記憶に残ってないの・・・(悲)

このあと数日間トラウマのようにレストランに入れず、カフェばっかりで食事、
夜はお惣菜屋さんでいろんなものを買い込み、お部屋で食事。(淋)

パン・チーズ・お惣菜はどれもかなり美味しく、甘いものだけはちょっと甘過ぎだった記憶・・・

何?結局食べ物の話し・・・?と思ってます?
いえいえ、まだ2日目ですから。

小さくてごめんなさいね。こんなのしかアップできなくて・・・恐縮。

上の方は昔のルーブル美術館、ニケの像とかが写ってますね。今とはかなり違います。
下の方は宿泊していたホテル近くの建物


上の方はパリ再開発の象徴の1つだったポンピドゥーセンター(印象派以後〜現代美術までの美術館)
下の方はエッフェル塔と塔の上から見た景色

パリの美術館は年代ごとに分かれていますから、一通り見たいと思うと1週間は平気でかかります。
ルーブル/オランジェリー/オルセー/ポンピドゥーセンターと年代順に見るのが良いかも。

次は一気にウィーンへと行っちゃおうかと思います。


思い出話/一人旅 [昔の旅の話]

たまには思い出話でも・・・

年末にアッキーさんの記事
http://blog.so-net.ne.jp/aki-aki/2005-12-23
でnikon-FE を見ちゃったのと、
(ごめんなさい!m(__)m皆さんみたいにリンク貼れなくて・・・)
にょろさん、モモパパさんのイタリア旅行記事(連載中)を読んでいて
当時を思い出して奥の方から懐かしいものを引っぱり出してみました。

その頃のワタシは24才、恐いもの知らず・・・

はじめての海外旅行、ヨーロッパ一人旅/しかも2ヶ月間、
期日指定格安チケット(大韓航空)とユーレイルパス!
ホテルの予約は初日(パリ市内)の1泊だけ〜

持ち物は、着替え1着分、日用品少し、と「地球の歩き方/ヨーロッパ」
nikon-FE

出発前にフランス語を勉強していた友人(一人旅の先輩でもある)からもらったメモが。。。
街中では英語ほとんど通じないからね・・・と、

ホテルの予約、道のたずね方、チケットの買い方、発音、
A3ノートに5枚ほど・・・これくらいあれば、と書いてくれました。
これが涙がでるほど役にたちました。
ありがとうね〜

まずは成田空港に到着、緊張〜〜〜しかし・・・さすが大韓航空(失言、今は違うと思います!)・・・(‐‐‖))
飛行機の部品が一部落ちた?とかでいっこうにゲートが開かない・・・(汗)
乗客の皆さんいつ出発するかわからないので結局6時間も搭乗口で待たされました!
(6時間かかるなら一度外に出して欲しいよね〜)
そして、トランジットの時も走らされた〜


父親に当てた絵はがきが数枚なぜか一緒に出てきました。
ものすごく心配していたので移動するたびに、はがきを出していたようです。

拉致事件やテロ、海外での邦人の事故や事件をたくさん耳にする現在だったなら
こんな無謀な旅行は絶対許さなかっただろうと思います。
行かせてくれた両親に感謝!(親不孝娘でごめんなさい。)

旅行中の笑っちゃうエピソードはいろいろありますが、またの機会にね。

ところで撮った写真は?ですよね〜
でもほとんどがユニバーサルフィルムなんです。
当時デジカメなんてありませんでしたから・・・
一部ですが・・・

この他にもいっぱい出てきたのですが・・・
旅行でお金なくなっちゃって、プリントしたのがありませんでした。(苦笑)


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