1)だんママちゃんの病気について [介護のこと]
少々重い題材なので、ずっと書けなかった事があります。
だんママちゃん(義母)の病気と介護について・・・
実は今までにも何度か書いてみた事がありました。
現在進行形の状況ではどうにもつらい気持ちになってしまったことがあり、
いくつかの記事は削除してしまったことがありました。
介護については現在様々な問題が社会問題として取り上げられており、
訪問してくださる皆さまの中にも同様の悩みをお持ちの方もいらっしゃいます。
今の施設にお世話になってから、やっと少し心の安定を取り戻せた気がしています。
(とはいえ、まだまだいろいろありますのよ・・・^^;)
気がつけば、だんママちゃんのお世話をするようになってから11年と半年が過ぎました。
この11年は・・・長かったです。
これから先のことも不安がいっぱいですが、生きているからこその辛い事も
それなりに楽しんで毎日を過ごして行けたらいいかなぁ・・・と思えるようになったのは、
自分も「癌」という病気を経験したことが大きいのかもしれない・・・
以前とは少し違った思いで書けるかもしれないなぁ?と
最近になってやっとそんな気持ちになりました。
もともとは嫁・姑の関係ですが、現在ではそれ以上の家族になってるんじゃないかな?
と自負しています。
今日は1 回目なので、まずはだんママちゃんの病気のお話から。
病名は【脳腫瘍/髄膜腫(ずいまくしゅ)】
義母の病気は彼女が65 歳、勤めていた会社を定年退職し、家族でお祝いをした年に発覚。
義父はすでに糖尿病の悪化で亡くなっており、老後はこの家で一人ぐらし。
一人暮らしといっても、古くからのご近所付き合いもある。
毎週末には都内で生活している我々夫婦とこの横浜の家で一緒に食事。
友人との旅行や趣味の家庭菜園に植えるものの計画・・・
「それでも暇だろうから、ボランティアで福祉施設の運転手とかやろうかしら?」と・・・
やりたいことはいっぱい、悠々自適な生活が待っているのだと誰もが思っていました。
退職後間もなく、近くの総合病院で健康診断と脳ドックの検査を受けたその日、会社に電話がありました。
「私、脳腫瘍なんですって・・・今スグ入院してくださいって言われちゃったんだけど、
手続きとか諸々あるし、説明が必要なので家族の方は来れませんか?って・・・
naka ちゃんこれから病院まで一緒に行ってくれない?」
青天の霹靂・・・
だんちゃんは打合わせで外出しており連絡が遅れ・・・(あ、同じ会社ですから。^^;)
私は急いで午後の打合わせをキャンセルし、病院へ向った。
病名は、右側頭部に「髄膜腫」があり、かなり大きくなって脳を圧迫している、
いつ倒れてもおかしくない状況であり、MRI 造影検査後、開頭手術の詳細な段取りを組む。
という先生からの説明だった。
脳腫瘍とはいっても脳そのものから発生したものではなく、髄膜に出来た腫瘍で脳を圧迫したり、
脳神経、血管などを巻き込んで大きくなるため、脳腫瘍として扱われます。
一部には悪性のものもありますが、基本的には良性腫瘍。
術後の経過が良ければ1 ヶ月~1 ヶ月半くらいで退院出来るであろうという話をそのまま鵜呑みにし、
退院すればもと通り・・・と未だこの頃は信じて疑わなかった。
手術で取ってしまえば直る病気であると・・・
だんママちゃんは動揺も見せず、冷静でした。
一晩いろんな事を考えたのでしょう・・・
翌日病院に行くと・・・
「ご家族が一緒でないとダメです!」
「どうして家に行くのがダメなのよ!用事があるんだから、
今はまだなんともないんだし、ちょっと家に帰ってくるってだけでしょー!」
と言って看護婦長(今は師長)さんと大きな声で喧嘩をしていました。
げげっ ¦¦¦(-_-;)¦¦¦¦¦¦ いったい何事なのじゃ?
何を言ってもいっこうに引き下がらないので、仕方なく先生にお願いして半日外出許可をいただき付き添いました。
理由は・・・
私に入院費の支払いや家の事諸々・・・保険の証書や通帳・印鑑等々・・・
何かあった時のために全部伝えておきたかったのだと・・・
実の息子ではなく、嫁の私に・・・
普段はお姫様のような性格(笑)なのですが・・・すごい人だなぁ・・・と思ったです。
義父が亡くなって、頑張ってこの家を守ってきたのだなぁ・・・と。
・・・初めて長男の嫁的責任の重さを実感しました。
1 週間後、
だんママちゃんは頭をバリカンで刈られ、坊主頭で手術室へ向かいました。
手術時間は6時間。
絡み付いた血管を剥がしたりするのに時間がかかりましたが、無事に終了との報告を受ける。
ICUにてしばらく様子を見ることになりました。
目覚めても朦朧とした状態が続きます。
翌日、経過は順調なので術後の脳の浮腫がある程度おさまれば明日は病室の方に戻れるでしょう・・・と言われていた。
ところが、夜になって容態が急変・・・手術後の脳の浮腫はおさまるどころかどんどん悪化・・・
23時を過ぎた頃、執刀医ではなく当直医からの連絡で呼び出されました。
今スグもう一度切開し、前頭葉の一部を切除して脳の腫れをキープ出来るスペースを作らないと
命の保証が出来ないので再手術の同意が欲しいとのことだった・・・
前頭葉の一部を切除・・・その後遺症は?とそのとき聞いた気もしますが・・・
機能的には切除しても大丈夫な部分ですから手足の麻痺などは残りません・・・と。
機能的には・・・という言葉の意味を考える時間的余裕もなく、
私たちに選択の余地はありませんでした。
再手術後、数日してやっと落ち着きを見せた頃、今度は祖母が危篤状態であると、
実家からの電話だった・・・。
やりかけの仕事もあったが、引き継いでもらい、実家へ・・・
長い事、祖母の介護をしていた実家の母は病院のベッドで痙攣を起こした祖母の姿にショックを受け、
怖いからと面会にも行けない状態になってしまっていた。
祖母は人工呼吸器を着けられ、すでに会話は出来ない状態だった。
翌々日、母だけがいない家族の前で祖母は静かに息を引き取った・・・。
・・・94歳、大往生と言って良いと思う。
母の事は気がかりであったけれど、
きれいになって帰って来た姿を見てほっとしていたようだった。
葬儀を済ませた後は、すぐに義母の病院へ戻った・・・
ICUには1週間ほどいたでしょうか?
その後一般病室へ戻っても、脳の浮腫がおさまるまでの間の約2ヶ月、頭の骨は開けられたままに・・・
意識が戻っても、その目は違うものを見ているようだった。
ずいぶん長い事、私たちの見えない世界を漂っていたようで・・・
その頃の記憶は一切ないそうです。
今では笑っちゃう内容なのですが^^;一部を紹介いたしましょうか?
「お釈迦様が、1体・2体・3・4・・・100?1000?あぁ、もう数えられないわ〜!」
・・・増殖するお釈迦様ってー?(@・@)
「婦長さんは・・・えーと・・・黒カラス!」
うう・・・婦長さん天敵かも?
・・・お願いだからそれ本人の前で言わないでねーーー!(・・;)冷汗・・・
「わたしね〜、退職金いっぱいもらったのよ〜、5おくえん・・・
だからね〜うふふ、nakaちゃんにも500まんえんあげるわね〜!」
・・・おおっ、すっごい景気のいい会社?
それ、一筆書いてもらっとけば良かった〜!^o^
「今ね・・・レストランでお食事してるのよ・・・とっても美味しいの・・・」
それは点滴ごはんだと思いますが(・・;)おいしいですか?
・・・良かったです。
脳というのは不思議なもので・・・大変な状況下にあるにもかかわらず
痛い・苦しいというような悲痛な訴えがなかったのはとても救いでした。
この頃は日々元気になっていく姿を見ているだけで、家族は皆ほっとしていた。
流動食の管が外され、食事が口から食べられるようになる。
手足も少しづつ動かせている・・・麻痺は残ってなさそうで良かった。
オムツも腰が挙げられるようになり、徐々に起きている時間が長くなってくる。
脳の浮腫が治まって、骨を戻すための手術が行われ、
後はリハビリのトレーニングが始まるのを待つ状態までゆっくりと回復していった。
私たちはそれぞれに抱えていた仕事もあり、
都内の家〜会社〜病院〜横浜の家を行ったり来たりの生活が4ヶ月続きました。
退院後の生活がどうなっていくのか?
いっぱいいっぱいだった私には考える余裕が未だなかったです・・・。
まだまだ先の話と思っていたのに、リハビリが始まると退院の話がチラホラと出てきます。
その時になってはじめて・・・こんな状態で退院?
一人暮らしのだんママちゃん・・・これからどうしたらいいのか?
いずれは同居ということも考えてはいたものの、
急がなくてはならないのだということにやっと気がついたのでした。
季節は丁度4月も後半・・・先生と相談の上、
ゴールデンウィーク中に引っ越しをする計画を立て、そのための段取りを組み
色々な手続きが終わるまでの1ヶ月の間入院生活を許可してもらった。
同居のための引っ越しは・・・
2軒分のかたずけをしなければならなかった・・・(ーー;)
退院後のお話はまた次回に・・・
すこしづつ書けたらアップしていく予定でいます。
そうでしたか。
あんまり深く思わず、介護が必要なお年寄りがいるんだ、ぐらいにしか思っていませんでした。
大変でしたね。
nakaさん自身も大変だったのに。
ちょっと不謹慎かもだけど、脳って不思議だなぁ。
看護師さんがカラスに(爆)
それはナイショにしないとね( ̄▽ ̄)
by rider (2009-09-01 15:32)
*riderさん
コメントありがとー^^
何だかかわいそうな話になっちゃうのがイヤでね、なかなか書けなかったんです・・・。
だんママちゃんの後遺症のことってあまり知られてない事が多くて、いろんな人に理解してもらえたらなーという事もあって、いつかは書いておかなくちゃと思ってたことなんです。
やっと重〜い腰を挙げてみました。はい。^^
次回の方が本題です。
入院中はね、病院で看てくれてるから元気づけてあげるだけで良かったんです。
引っ越しの方が大変。(ー”ー)すっごいゴミの山だった・・・
婦長さん、よっぽど嫌いだったんでしょうね〜^^;
6人部屋で思いっきりケンカしてましたからね〜(;´▽`A``
by nakasama (2009-09-01 16:02)
大変だったんですね
お義母様、これからって時に
でも、脳ドッグを受けたのも
何か虫の知らせだったのでしょうか
母は強し
私の母も入院前に、銀行やら保険やら
全てのものを兄弟に分けてくれました
あんな風に自分はできない、と尊敬したものです
by ユキ (2009-09-01 19:13)
引っ越し、退院、介護の日々、そしてご自身の病気と続くのですね。
がんがわかったとき、人生、思わぬことがまっているものなんだと
思いましたが、nakasamaさんは、その何倍もの山谷を越えて
いらっしゃったんですね。
by メアリーアン (2009-09-01 19:57)
11年ひと昔と一言で言っても・・・長い時間ですよね。
私って何年目かしら?
だんママって・・・周りを振り回す人ですよね(^w^)
付き合うnakasamaは偉い!
ウチの無口な母と足して2で割ったら丁度いいのに・・・そうもいかないのが、
残念至極。
脳って・・・不思議ですよね。医療が進んで昔は助からなかったものが助かるようになって、いいことでもあるけれど、
元通りになる保証はないし・・・
そんな病の人が、生きていていいんだよ~っていう世の中になってほしい。
それも政治だと思ってるんで、期待したいです。
by こぎん (2009-09-01 22:26)
成る程、お義母様は髄膜腫だったのですか・・・
何はともあれ、今があるのが良かったです^^
お嬢(姫?)様でも強い所がおありなのはお義母様らしいところ?!
by モモパパ (2009-09-01 23:57)
お義母さまはもちろん、nakasamaさんご夫婦も
とても辛い経験をされてきたのですね。。。
今もそれは変わらないのだと思いますが、このように
nakasamaさんご自身が振り返ることで、気持ちが
少しでも軽くなるとよいですね。
by ちゃるこ (2009-09-02 00:31)
*ユキさん
退職して、まだ健康保険が使えるうちに悪いところがあったら直しておこうと全身チェックに行ったんですって・・・^^;
自分も入院前は色々考えたけど、告知当日の入院で動揺見せないってえらいなーと・・・しかし、ケンカは困るのよ(ーー;
*メアリーアンさん
自分が告知を受けた時って、正直だんママちゃんどうしよー?
ってことの方が大きかったですわ〜^^;
*こぎんさん
そうそう、みんなこの人の渦に巻き込まれてしまうのですよ〜
ヾ(。ё◇ё。)ノ
ほんと、いつも思いますよね・・・行きたい、やりたい病を分けてあげたいです。あとトイレの回数も〜^^;
介護も子育ても社会みんなで見守れるような仕組みが出来ないかなぁ〜?
もっと暖かい世の中に変えていってもらいたいですねぇ〜。
*モモパパさん
ほんとに良かったのかな?と思うこともしばしばでしたが・・・
100歳まで頑張ると言ってますので良かったのでしょうね〜^^;
*ちゃるこさん
自分が頑張らないと・・・と思う時期は大変でしたが、
一緒に看て考えてくれるプロがいるというのは全然違うものです。
今はとっても楽ですよ。^^どうもありがとう。
by nakasama (2009-09-02 12:45)